1回目の招致活動のライバルは、ニュージーランドと南アフリカだったが、勝負のカギを握るのは、2票ずつ票を持っている「伝統国」のどこに支援を取り付けるかということだった。ここで、大きく票が動くからだ。その「伝統国」とは、英4 ...
続きを読むラグビーワールドカップの招致では、海外に出かけてロビング活動をするばかりでなく、海外のメディアを日本に招待して、日本でラグビーがどうプレーされているかを知らせる必要ことも大切でした。なにしろ、当時、日本のラグビーの活動ぶ ...
続きを読む2004年11月の日本代表欧州遠征は、これまでとは全く異なる使命を持っていた。ワールドカップ招致活動の中での遠征だ。もちろん、試合内容や結果も大切だが、各地で接する協会関係者やメディア、ファンに招致をアピールする絶好の機 ...
続きを読む2003年に起きたことで、ラグビーワールドカップ日本招致を語る時にどうしても欠かせない人物がいる。 2003年のオーストラリアW杯も終わり、招致調査団も帰国した11月30日の早朝、「イラクで日本人が凶弾にあって死亡した」 ...
続きを読む2003年にオーストラリアで開催されたラグビーワールドカップは、日本協会がワールドカップの日本招致を計画した始めた年の秋に行われ、招致の原点になる大会だった。向井ジャパン(箕内拓郎主将=写真)の初戦となったスコットランド ...
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