1回目の招致活動のライバルは、ニュージーランドと南アフリカだったが、勝負のカギを握るのは、2票ずつ票を持っている「伝統国」のどこに支援を取り付けるかということだった。ここで、大きく票が動くからだ。その「伝統国」とは、英4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)、フランス、南半球3協会(ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリア)。IRBの26票中、この8協会だけで16票を有していた。
この「ビッグ8」が世界のラグビーを動かしているという構図は、現在でもあまり変わらない。彼らは自らをFoundation Union(創設協会)=IRBを作った協会=と呼ぶ。なお、IRBとは国際統括機関「インターナショナルラグビーボード」の略称で、2014年に「ワールドラグビー」と呼称をかえた。
そんな中で、伝統国の中でまっさきに「日本招致を支援します」と公言したのは、当時のオーストラリア協会のチェアマン、ディリップ・クマ氏だった。クマ氏はスリランカ出身だったこともあり、日本でのラグビーワールドカップ開催は「ラグビーを世界やアジアに広げることにおおいに貢献する」と言い切った。森喜朗氏が会長に就任したあと、日本協会とオーストラリア協会は「ラグビーアコード」という日豪協定を結び、お互いがお互いをサポートしあうというパートナーシップを結んだ。写真はその時のものである。
ところが、このとき、招致をしていたのが、ニュージーランドと南アフリカ、いわゆる
SANZAR同盟のうち2カ国だった。そんな中で、オーストラリアのチェアマンであるクマ氏がこともあろうに「日本支援」を公言したことは、その2か国に少なからず不穏な衝撃を与えた。
2005年11月の投票で2011年大会がニュージーランドと決まった数か月後、ニュージーランドの議員団が、オーストラリア協会にクレームを出し、翌年、クマ氏はその責任を取ってチェアマンを辞任する結果になった。
そのディリップ・クマ氏は、日本招致を表明した2004年から15年後の今年、ラグビーワールドカップの準決勝と決勝を観戦するために来日する。オーストラリアにつづき、イングランド協会が日本支援を表明した。理由はやはり「日本開催がラグビーのグローバル化につながる」というもの。
2019年招致では、最初の招致でライバルだったニュージーランド協会が最後に日本支援に回わった。このようにして、2019年大会の実現に向けて、世界でいろいろな人や協会がRWC日本開催の意義を信じて力を貸してくれたことを私たちは忘れてはならない。