• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

熊谷市のさわやかな勇断

ラグビーワールドカップを招致していた2004年ころ、私たち招致団はロビイング先で「日本を開催国に!みなさんの勇断をぜひお願いします」と訴えた。代表も弱い、スタジアムにはお客が入らない。当時、極東の国、日本でラグビーワールドカップを開催するということは、IRBや伝統国にとってはかなりの”勇断”だったのだ。

10月9日、熊谷ラグビー場での最後の試合「アルゼンチン対アメリカ」の試合が行われた。海外の要人たちが口をそろえるのは「サイズ的にも見やすさ的にもラグビーにぴったり。自分のお気に入りのスタジアムだ」という評価だった。

これ以上はないというほどの秋晴れ中で国歌斉唱が始まると、アルゼンチン、アメリカの国歌がすごい広がりでスタジアム全体に反響した。2万人を超える日本のサポーターたちが歌詞カードを見ながら両国の国歌を大きな声で歌っている。これはいったい何だろう。今までに見たことのない光景だ。わが耳を疑うまま、いつのまにかその音の世界に引き込まれてしまった。

よく見るとスタジアムのいろいろなところに小学生らしき集団がいて、力いっぱい選手たちに声援を送っている。みんな両チームを応援するボードを持っている。富岡市長によると「市内の小中学生1万4千人分のチケットを市で買い、3回の試合に分けて招待しました」とのこと。チケット代だけで8千万円。200台以上のバス代を入れると優に1億円は超えたという。「でも、これがこの子たちの一生の思い出になると考えたら安いもんですよ」と富岡市長。「仮設スタジアムにもずいぶんお金がかかりましたが、今日はそこに小学生が座ってたんです」と感慨深げに見つめる。熊谷で試合をする6チームのお国料理もぜんぶ給食で食べたという。長く深谷高校ラグビー部の指導にあたってきた尾崎埼玉県ラグビー協会副会長も「この中から50人くらいでもラグビー始めてくれたらなあ」と笑った。

10年前に日本でのラグビーワールドカップ開催を決めたのがIRBの“勇断”であれば、その後、全国各地でなされたいろいろな”勇断“がそれをさらに価値あるものに変えている。この日の熊谷ラグビー場は秋の日差しを受けてきらきらと輝いていた。