• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

『ウェールズへの道』10 (番外編)ウェールズ語について

ウェールズへの渡航記を9回目まで続けたところで連載が止まってしまいましたが、これは部屋の片づけをしていて、当時の資料を一時見失ってしまったからで、見つかりしだい早急に再開したいと思っています。

今日は“番外編“としてウェールズ語について書いてみたいと思います。というのも、昔の書類を整理していて本棚から出てきたのが「SPEAK WELSH」(「ウェールズを語ろう」)という古い本だったからなので。出版年が1977年、私が渡航した年になっています。

この本の前書きにはこう書かれている。「同じケルト国でもアイルランドやスコットランドでは日常生活ではすでに独自の言語を失ってしまったのに、英国政府にウェールズ語の使用を禁じられてきたにもかかわらず、ウェールズ語だけが今なお生き残っていることは驚くべきことである。その最大の理由のひとつは、この国の人々が自分たちの言語に対し大きな誇りを持っているということだ」。わずか50ページに満たない小冊子の中に、筆者の熱い思いが込められている。

ウェールズ語は英語とはまったく違うルーツを持った言葉で、たとえば「ありがとう」はDiolch yn fawr(ディオルフ・アンバウル)となる。そもそも「ウェールズ」という呼び名はアングロサクソンの人々がつけたもので、”外国人”という意味。ウェールズの人たちは自分たちのことを「カムリ」(Cymru)と呼び、これはもともと”同胞”という意味だという。

英国政府は、16世紀にウェールズ連合法を制定し、ウェールズをイングランドに正式に併合しようとした。その時の文言は、どこかの”植民地政策“と酷似している。いわく「彼らが本王国とは異なる奇怪な風俗習慣をすべて改めることを図って、当該国ウェールズがこのイングランドに合同され、統一され、合併されることを定めた」。「今後、ウェールズ語を使用する者はいかなる公職、あるいは封地を有することはなく、英語を用いない限り、当該公職並びに封地の権利を喪失することを制定する」。

英国政府がウェールズで実施した政策に「Welsh Not(ウェルシュ・ノット)」というものがある。
ウェールズの学校で生徒がウェールズ語を話すと、その子の首にはWN(ウエルッシュノット)と刻まれた木の石の札がかけられた。別の子がウェールズ語を話していると、今度は次の子に札がかけられ、一日のクラスが終わる時にウェルシュ・ノットをかけられていた子は、教師に鞭の体罰を受けたという。子ども達にウェールズ語を話さないようにすることを目的とした政策だった。

写真は、ウェールズで年に一回行われる「アイステッドフォッド」(Eisteddfod)という文化祭典の光景。私はウェールズに滞在当時、カーディフで開催されたこのお祭りに足を運んだことがある。ウェールズの歴史や文化を継承するこのお祭りでは、すべての掲示物にウェールズ語が優先され、英語はあくまで2番目に掲示されるというルールになっていた。

ところがあるとき、事件が起きた。たままた私がお祭りの会場を歩いているとき、突然、ガンガンという物を壊すような大きな騒音が聞こえて足を止めた。英国鉄道のパビリオンだった。その時にはすぐ事情がわからなったが、あとで聞くと、何かの手違いで、そのパビリオンでは「英語がメイン、ウェールズ後が2番目」に掲示されていたそうで、それに激怒したウェールズ言語協会のメンバーが、そのパビリオンの掲示板を斧や鉞(まさかり)で壊すという実力行使に出たということだった。自国の言葉を守ろうとする気持ちはそれほど強いものだった。

一時は絶滅の危機にあったウェールズ語だったが、1988年の教育改革法により、晴れて義務教育期間での必修科目になった。2011年の国勢調査では、ウェールズの人口の19%がウェールズ語を話せるという。

こういう歴史的な背景からあらためてラグビーのウェールズ対イングランド戦を見ると、両国の選手達が自国のプライドにかけて戦う姿が、さらに鮮明なものになってくる。

<参考文献>『ウェールズを知るための60章』(明石書店・吉賀憲夫編)より