(前回までのあらすじ)ウェールズへの渡航を目指す私は、1977年8月、25歳の時に羽田空港から32時間かけて最初の滞在地であるデンマークのコペンハーゲンに着いた。
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とうとう着いた。1977年8月26日午後12時40分、雨のコペンハーゲン・カストロップ国際空港。
羽田空港の出発からすでに32時間たっていて、さすがにお尻が痛い。もう当分の間、飛行機には乗りたくないと思った。しかしこの片道のフライトだけでも、かなりの国際体験になった気がする。北京からラワルピンディ、ダマスカス、アテネ、ローマと、合計5都市でトランジット。それぞれの国の空港で感じた空気や、新たに乗り降りする人たちと機内で接しただけでも、十分すぎるほどの国際体験だった。渡航とは、移動すること自体が、貴重な体験だと感じた。
カストロップ国際空港から外に出ると、あざやかなグリーン、オレンジ、レッド・・・というカラフルな色調と、渋いダークブラウンとの見事なコントラストが目に飛び込んでくる。日本の都市の色彩風景と違う。カラフルだが浮足立っておらず、落ち着いている。これが北欧風というのだろうか。
空港で両替をした。デンマークの通貨はクローネ。1クローネが40円前後だった。この渡航では、どこに泊まるかはすべて現地で決めることにしていたが、コペンハーゲンでの最初の一泊だけは、日本からある程度のメドをつけていた。海外で最初の宿泊なので、ある程度、安心できるレベルのホテルにしておきたい。東京の在日デンマーク政府観光局から郵送で取り寄せた観光パンフレットにホテルの一覧があった。28ページからなるこのパンフレットの冒頭の書き出しがおもしろかった。
「デンマークには、あなたがおいでになる前に数々の招かれざる客が押しかけて来ました。ノルウェーのバイキング、ウェンド人、ハンザ同盟人、スウェーデン人、イギリス人、ドイツ人などです。彼らはコペンハーゲンを征服するために、包囲・攻撃・兵糧攻めを繰り返し、町を占領したり焼き払ったりもしました・・・」。デンマークの特殊な歴史を伝えたかったのかもしれないが、観光ガイドの書き出しとしてはなかなかユニークだ。
その中パンフレットで、一泊120クローネ(4800円)のスキャンディスホテル(Scandis Hotel)を見つけた。空港の公衆電話から連絡したら、英語が通じて予約がとれたのでそこに決めた。しかし一泊にこれだけお金をかけていたら、これからの長期滞在はできない。2泊目からは気をつけよう。
8月だというのに寒い。みんなセーターはもちろん、オーバーコートがほとんどだ。雨の中でも傘をさす人がほとんどいない。空港からホテルに行くために市内バスに乗った。あざやかな黄色のバス。運転手がいきなりTシャツとGパンの私服姿だったのには驚いた。バスのチケットらしいが写真が、1クローネ(40円)と書かれている。そんな安い金額でバスに乗れたのか、しかしもはや記憶をたどることができない。
小ぎれいなスキャンディスホテルに着いたが、時差ぼけで眠くてだるい。急にフライトの疲れが出て来たようだ。ホテルのVISTAで軽食を取ると、その日は午後7時半には眠りについた。こうして、私の海外渡航の初日は、何事もなく静かに終わった。
翌朝の8月28日。きのうとうって変わって暑い日。Tシャツ一枚でいいくらいだ。朝日の差し込むダイニングルームで朝食を取る。こってりとしたチーズとハムのサンドイッチをいただく。このホテルは到着の一夜だけのつもりだったので、これでお別れ。リュックの上に寝袋を巻き付けたバックパッカースタイルでチェックアウトをした。青い目をしたフロントの女の子がとっても可愛かった。
バスに乗ってコペンハーゲン中央駅に向かい、キオスク(KIOSK)で新たな宿探し。とりあえずは、北西部のあるホテル・ホルゲン(Hotel FORGEN)にする。一日80クローネ(3200円)は手痛いが、とりあえず3泊の予約にしておいた。
午後からは有名なチボリ遊園地(Tivoli)へ。1843年に開業した世界最古の遊園地。当時のデンマーク国王クリスチャン8世の命を受け、まだほとんど娯楽のなかった時代に「階級の区別なくみんなが楽しめる場所を」というアイデアから生まれたとのこと。かのウォルト・ディズニーも参考にしたという老舗だ。
遊園地そのものがどうということはないが、入っている人間が違うと感じた。どこを見ても親たち(といってもみんなGパン姿)が子どもたちと一緒に楽しんでいる。幼児向けのコントを一緒に声をあげて笑って楽しんでいる。いつでも”子どもの心“に帰れる大人たちの姿があった。ゲームセンターの光景は日本とほとんど変わらなかったが、ここでも大のオトナ(特にご婦人たちが多い)がルーレット、スロットル などにアイスクリームを食べながら熱中している。ジェットコースター、ボートしかりである。大人と子どもが同じレベルで楽しめる遊園地だ。チボリを出ると、アンデルセンで有名な人魚姫の像にも足を運んだ。全長80センチで、想像していたよりもかなり小さな像だった。
着いた日こそ雨で冷え込んだが、太陽が顔を出した時のまぶしさは、渋くすがすがしい。いかにも北欧の夏という感じ。しかし、いったん太陽が雲に隠れると急に冷え込む。朝晩もしかり。タートルにジャンパー姿の男がいたかと思うと、横にはTシャツ一枚の若者もいる。彼らはもしかしたら温度に鈍感なのかもしれない。永年の温度変化にそういう体になったのだろうか。
町を歩いていると、いろいろな発見もあった。工事現場に大きな窓ガラスをつけて通行人に中の様子を見せるように工夫したり、横断歩道でしか絶対に道路を横切らない人たち、売店ですぐにできるきれいな一本の列・・・落ち着きのある余裕のある国という印象だ。一方、夜歩いていると、12-3歳と思える少年が同じ年頃の少女を肩に抱きかかえてふらふらして道を歩いていたが、アルコールで顔を真っ赤にし、タバコまで吸っている。これも“大人の国”だから認められるのだろうか。街に普通にアダルトショップがあり、子どもたちが平気でのぞき込んだりしている。なにより自己判断を優先する国なのだと思った。
それにしても、デンマークっ子たちの服装のセンスの良さ。下はほとんどジーンズだが、上は白、黒、ライトグリーンなどをうまく着こなしていて、デンマーク人独特の淡い金髪がよくマッチしている。子どもたちも若者と同じスタイルで、日本の子どもたちのように遠くから一目で子どもだとわかるのとは違う。女の子もジーパンでスカート姿は皆無。男の子も長髪が多いせいか、男の子なのか女の子なのか区別もつけがたいし、一体何歳ぐらいなのかもちょっとわからない。日本のように一目で小学生くらいか高校生くらいかわかるという感じではない。この国では、こどもは小さな青年であり、青年は大きな子どもなのだ。長い脚で、大きな体をゆっさゆっさと揺らして歩いていく。
街を歩いていても、目に入ってくるデンマーク語の看板がわからない。Skoは靴、Apotekは薬局、Billetはチケットというように。お店をのぞき込んでみないと何のお店なのかわからない。デンマーク語は、ゲルマン語派に属すると書かれてあったが、英語との関連性がほとんどない。ありがとう!は、Tak (skal du have)! / タック (スキャ・ドゥ・へー) だ。日本語をまったく使わなくなってから2日目。英語でもいいから、とにかく誰かと話したいと思ったが、なかなかその機会がない。町を歩いて聞こえてくるのは耳慣れないデンマーク語ばかりだ。
3日目には「ソシアルツアー」に参加してみた。この国自慢の社会保障制度を紹介するために幼稚園や小学校、老人ホームなどを見学させるツアー。カラフルな教室が並ぶ小学校では、アイスクリームを食べながら廊下を歩いている子どもたちにびっくり。一方で、子どもたちが間違ってガラスを割らないように窓際にサボテンを植えたりして工夫している。幼稚園にいくとヒゲモジャの青年がGパン姿でこどもたちと遊んでいた。ただ、ガイドの女性の英語がよく聞き取れず、ただ見るだけのツアーになってしまった。
午後からは自転車を借りてサイクリングに行くことにした。この国ではレンタサイクルが盛んで、その自転車も、日本のように手でブレーキを押さえるのではなく、ペダルを逆回転させるとブレーキがかかる仕組みになっていた。それにしても自転車のサドルの高いこと。これがデンマーク基準なのかもしれないが、これでは自分の足が地面に届かないので、サドルを下げることにした。まぶしい太陽を浴びながら、自転車専用道路が完備されスイスイ走るのは気持ちがいい。
市内を回ったあと、スポーツセンターで子どもたちがテニスやサッカーをしている姿をぼーっと見ていたら、突然中学生ぐらいの少年に英語ではなしかけられた。聞いてみると彼の名前はフィン(Finn)で、14歳。空手や日本のことに興味があり、日本人らしき私を見つけて関心を持ったらしい。音楽も好きでドラムをやっているとか。日本から持ってきたお菓子とうちわをあげると、とても喜んでくれ、いったん自宅に帰ると今度は逆に、デンマークの漫画やチョコレートやゲームまで持ってきてくれた。4時間くらいカタコトの英語で話をしたことになるが、やはり慣れない英語を連続して使うとこんなに疲れるものなのか。海外に出て最初の友達ができたのは嬉しかった。たとえそれがデンマークの中学生であれ。
それにしてもこの国の物価にはお手上げだ。デンマークは格安旅行をする若者が選ぶ場所でないことがすぐにわかった。オレンジジュースが250円、タバコが600円。カレーライスを食べようとレストランに入ったら日本円で1,000円もした。外食はやめて、すぐに自炊に切り替えた。キオスクで買ったオニオンとチーズのサンドイッチがおいしかったので、さっそくスーパーで玉ねぎとチーズとパンを買ってきて、公園のベンチでサンドイッチづくりをした。日本から持参したキャンプ用のナイフで玉ねぎとチーズをカットして、特製サンドイッチを作った。しかし、玉ねぎの味が強烈すぎてとても食べられなかった。生の玉ねぎを食べるためにはまず”辛み抜き“をしなければならないことも知らず、サバイバルのための基本的な知識を欠いていた。
“Use It”という若者向けの格安ショップに行ったら、安い宿を探しているというアルジェリアの青年と知り合った。彼が手に持っていたのは小さなビニール袋と寝袋だけだった。私が泊まるホテルが1泊80クローネだと聞いて「俺にはとてもそんなホテルはムリだ」と目を丸くしていた。
デンマークは確かに楽しいところだ。しかし長居ができるところではない。そろイギリスに向かおうと考えた。(次回は2月22日の予定です)