• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

『ウェールズへの道』11(番外編)あの頃は毎晩のように「ランド・オブ・マイファーザーズ」を歌っていた

ウェールズへの渡航記、あいかわらず続きの資料が見つからないので、今週も「番外編」を書きます。きっかけは資料を探していて出てきた「Songs of Wales」という赤い表紙の本。ウェールズのオリジナル歌が15曲紹介されている歌集で、カーディフ滞在中に購入したものです。そこで、今回はウェールズと音楽について、私の体験したエピソードを中心にお話しましょう。

あるガイドブックに、ウェールズ人の好きなもの3つとして挙げられていたのが「ラグビー」と「音楽」と「ビール」だった。その説明の中に「ウェールズ人は誰にも教わらなくても本能的にラグビーをプレーできるし、譜面が読めなくても上手に歌が歌える」という記述があった。これは、ウェールズを語るときに大いにヒントになる説明だ。そもそも、ウェールズ語の響き自体、歌を歌っているような美しさがある。

私がカーディフに滞在していたころは、街のパブが閉まるころ、おそらく午後11時くらいだったのだろうか、もう少し遅かったのだろうか、パブのオーナーが突然、”Time, gentlemen! Time!”(閉店時間ですよ)と大声で叫んだものだ。すると、次の瞬間、誰からともなく歌い始めたのがウェールズの国歌「ランド・オブ・マイファーザーズ」だった。パブにいる全員による国家斉唱。これが毎晩、閉店時に行われるのだ。なんという国だろうと思った。

友人に聞いてみると、今ではもうその習慣はなくなったということだが、私がカーディフに滞在していた70年代の後半には確かにそういう光景が普通だった。もうひとつ、思い出したのは、そのころは「スイングロウ・スウィートチャリオット」という現在のイングランドの応援歌も、普通にウェールズのパブで歌われていた。その頃はあくまでも黒人霊歌のひとつとして歌われていた。この曲がいつからイングランドの応援歌になったのかは、いつか調べてみたい。

レイ・ウイリアムズ氏の自宅を訪れて、ギターで「荒城の月」を歌った時に、ヘレン夫人に「そのメロディーはウェールズの歌と似たところがあるわね」と言われたエピソードはすでに紹介したが、ウェールズの歌はその歴史を反映してか、どこか哀愁を帯びている。

ウェールズの合唱のすごさを体験するとしたら、やはりラグビーのスタジアムに足を運ぶしかないだろう。その頃は、カーディフ・アームズパークと呼ばれたメインスタジアムでの8万人の大合唱。地響きのする、身震いのする歌声だ。特に試合前の「ランド・オブ・マイファーザーズ」で驚かされるのは、サビの部分になると、自然に上のメロディーと下のパートに分かれた二部合唱になることだ。みんな自分の声域に合わせて歌いやすい方を歌う。これこそ冒頭に書いた「ウェールズ人は譜面が読めなくても上手に歌が歌える」ことの証明でもある。

ウェールズ代表の選手たちは、初キャップの試合でピッチに立って「ランド・オブ・マイファーザーズ」を歌う時、自分を育ててくれた村のクラブチームのことを真っ先に思い出しながら、国歌を歌うという。自分が初めてラグビーボールに触れたチーム。日本でいえば、地元のラグビースクールということになるだろう。そういう代表選手たちは、自分の代表ジャージをその小さな村のクラブに寄贈する。私は、クラブハウスで何度もそういうジャージを見かけた。ウェールズ人に共通するのは強い郷土愛だ。自分が生まれ、自分を育ててくれた郷土をいつまでも大切にする。

2年間ウェールズに滞在して帰国する際に、思い出多き「ランド・オブ・マイファーザーズ」の音源がどうしてもほしくて、私は街の音楽ショップに立ち寄った。その頃は、まだカセットテープの全盛期だった。そこで売られていた「ランド・オブ・マイファーザーズ」は、なんと、カーディフ・アームズパークでラグビーのテストマッチの時に録音されたものだった。私は思った。確かにこれが、ウェールズでは最高の「ランド・オブ・マイファーザーズ」に違いないと。

(追記)文化庁では、今年の3月に、ラグビーワールドカップ2019でウェールズが滞在した北九州、大分、熊本の3都市の高校生合唱団とウェールズとをオンラインでつなぐ交流イベントを実施しました。ぜひこの動画をご覧いただければと思います。

文化庁のプレスリリースはこちらです。

https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/92839901.html