「前略。お元気ですか。僕はいたって元気です。結局、コペンハーゲンに6日間も居座ってしまいました。寒かったのは最初の一日だけで、あとはTシャツ一枚で十分なほど暑い日が続いています。毎日いろいろなことがあり、何から書いていいかわからないほどです・・思い切って出てきて本当に良かったと思います。やはり、来ただけのことはあります。明日、いよいよ船でイギリスに向かいます。ヨーロッパには、金もなく旅を続けている若者がいっぱいいます。それではお元気で。」(1977年9月1日、日本にいる母親に書いた絵ハガキより)
日本出発から6日経ったが、私はまだデンマークに滞在している。
この渡航の目的は、ウェールズに行き、できるだけ長く滞在することだった。が、最初にデンマークに来たのは、それなりの考えがあったからだ。格安旅行をねらう若者に対して、当時のイギリス政府の入国審査が厳しかったので、ヒースロー空港を避け、審査が比較的ゆるいと考えて、デンマークからイギリスの港町ハリッジ(Harwich)に入る「北海横断ルート」を思い立った。
せっかくデンマークに来たのだから北欧諸国にもちょっと回ってみたいと、最初は考えていた。しかし、実際に来てみると、想像以上の物価高に万事休す。その計画はさっさとあきらめて、そろそろデンマークを脱出することにした。
本来なら、今ごろはイギリス行きのフェリーに乗っているはずだった。昼過ぎにコペンハーゲン中央駅から2時間半かけて、鉄道でデンマーク西海岸のエスビェア(Esbjerg)という街へ。ここから午後5時発の夜行フェリーに乗って、19時間かけてイギリスに向かうことになっていた。しかし、駅員の説明不足のせいで、途中で電車を乗り換えなかったため、夕方のフェリーに乗れなくなってしまった。それで今夜は、思いもせず、エスビェアのユースホテルに泊まることになったのだ。
いま、そのユースホテルでこの日記をつけている。渡航中に日本語を使う相手はこの『旅日記』に向かって自分の考えたことを書くか、日本にいる母親や友人に手紙を書くしかなかった。
明日、いよいよデンマークを去るにあたり、ここでの6日間の体験をまとめておこう。
初めての海外渡航。最初の2-3日は、通り行く人々の顔、スタイル、服装、声、街角のウインドー、建物、車、バス、自転車・・・何から何まで目に入るものがすべて珍しく、まったく消化しきれずに疲れ果ててしまった。そこには“自分”はなく、ただただ人の流れ、時の流れに流されていく“自分”しかなかった。物価の高さに悩まされ、コペンハーゲンという街をどうとらえていいのかわからなかった。
「明るい」「センスがいい」「これが北欧」わけのわからないデンマーク語と、葉巻の香り、金髪、ピルスナー、自転車、黄色いバス、Gパン、ホットドッグ、そしてクローネ。市庁舎前広場、チボリ、中央駅、ストロイエ通り。はっと目を見張るような子どもたち、肩まで髪の伸びた北欧娘たち。髭を伸ばした男たち。リュックを背負って歩くアルジェリアの青年。夜にはアメリカ人の二人連れが歌を歌っていたり、スコットランド人らしき青年がバグパイプを演奏していた。頭の中でいろいろな映像が互いにぶつかりあっていた。
3日目の「ソシアルツアー」が、今となっては一番おもしろい体験だった。この国自慢の社会保障制度を紹介するために幼稚園や小学校、老人ホームなどを見学させるツアー。小学校ではアイスクリームを食べながら廊下を歩いている子どもたちにびっくりした。それでいて、授業が始まるときちんと座って話を聞いている。
市内のサイクリングは楽しかった。自分もデンマーク人になったつもりで、自転車専用レーン(道路)をスイスイ。スポーツクラブでフィン(Finn)に話しかけられて、空手、YOKOHAMA、OTHELO、ドラム、テニス・・・と尽きることのない話をした。どこでも子どもたちの興味と関心は変わらない。人口が少ないので、街中でも車が時速70-90キロぐらいでビュンビュン飛ばしている。交通ルールは厳しく、自転車と歩道の区別がしっかり守られている。僕も何度か注意され、“Expensive!”(罰金が高いぞ)と教えてくれた。日本で言えば、ラーメン屋かうどん屋にあたるものが、町のあちこちにあるホットドッグ屋さん。たっぷりのマスタードとソーセージ。それにしても、あれだけ単純なメニューでよく飽きないものだ。
最初の3日はつい割高のホテルに泊まってしまったが、安い宿に切り替えようと、DIS(デンマーク・インターナショナル・学生センター)に行って、学生用のホステルを探した。Hotel Ry、1泊45クローネ(1800円)のところが見つかった。最初からここにすればよかったと悔やむ。
きのうは、午後から野外博物館へ出かけた。王政時代のいろいろな種類の農家が集められている博物館。「アンデルセンは『みにくいアヒルの子』の中でも、田舎は美しいと書いてあります。ぜひ当博物館でデンマークの田舎を体験してください」とガイドブックに書かれていたので、気になって足を運んだ。
広い敷地に点在する農家には、いろいろな時代の家具、道具、器具などが置かれ、まるで今でもそこに昔のデンマーク人が住んでいるようなタイムスリップ感のある博物館だった。
まさにその時だった。午後6時頃だっただろうか。私はふと我に返った。コペンハーゲン5日目にしてやっと外国にいる抵抗感、緊張感から突然解放されたのだ。しばらく意識を失っていて、急に誰かに揺り動かされたような感覚。これはなんだろう。その前に、野外博物館にいた時、近くの小学校で演奏されていたたて笛の音を聞いて、その音が心の中にすーっとしみわってくるような感覚を覚えた。「音楽」は世界共通の言語だと思った。何かがはっきりと伝わってくる知覚、感覚が急によみがえってきた。
思えば、デンマークで自分は一種の“言語障害”、または“失語症”のようなものを起こしていたのかもしれない。初めての海外渡航。出発からこの1週間近く、日本語を発したり、聞いたりする機会が全くなかった。今まで自分の人生で味わったことのない体験だった。まわりのみんなが話しているデンマーク語は、何が何だかわからない。言語的に孤独だった。自由に言葉が使えないということは、これほどまで思考も自由にできなくなり、ストレスが溜まっていくことなのか。私は野外博物館のベンチに腰をかけて、途方にくれてぐったりしていた。そんな夕方、ある瞬間から、突然“自分”が戻ってきたのだ。
初めての外国生活で自分のペースを作るのには、このくらいの時間がかかるのかもしれない。チボリ公園で見上げた月は日本的だった。やはり月は日本のものだと思った。
6日間の滞在では、デンマークという国について語ることはできない。しかし言えるのは、デンマーク人は心から人生を楽しんでいるということだ。話の終わりにはいつも余裕の笑みがある。高度の社会福祉制度による安心感なのか。Mange Tak(ありがとう!)デンマーク。
翌朝、ユースホステルのダイニングで、再び母に絵葉書を描いた。
「昨日は駅員の説明不足で、エスビェアのユースホステルに一泊することになりました。今日はいよいよイギリスへ向かいます。午後5時の船でここを出発し、明日の午後2時には着きます。ここのユースホステルにはTerryというアイルランドの青年がいて、僕にいろいろ旅のしかたをアドバイスしてくれました。また、Patricというアメリカ人の青年は、ボクサーをめざして毎日トレーニングをしています。いよいよイギリスへ行けると思うと、胸がわくわくします。それではお元気で。9/2浩司」
明日、夕方のDFDS海運フェリー「ダナ・レジーナ」号に無事乗り込むことができれば、翌日にはイギリスの港町ハリッジ(Harwich)に着ける。さあ、待ってろよ、イギリス!次回は、イギリスからこの渡航記が書けるはずだ。(連載は3月1日の更新になります)
(筆者追記)現在のコペンハーゲンを調べていて「デンマークでやるべき5つのこと」という英語サイトが見つかりました。https://travelade.com/denmark/stories/top-5-things-do-denmark
それによると、デンマークでやるべきことの1番目が「市内サイクリング」、2番目が「ホットドッグ」、3番目が「アロス・オーフス美術館」、4番目が「チボリ遊園地」、そして5番目が「人魚姫」。このうち、アロス・オーフス美術館はオーフスという市にあるので、コペンハーゲンに限定すると、44年前の滞在で、偶然にも私はそのうちの4つはすべて達成したことになります。もしこれからコペンハーゲンに行くことがある方に是非お勧めしたいのが、私も参加した「ソーシアルツアー(社会見学ツアー)」。サイト上ではいくつか紹介されているので、このユニークなツアーをぜひお勧めします。https://www.kamometour.co.jp/tour/1935863/