• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

『ウェールズへの道』08 ラグビー視察プログラム

(これまでのあらすじ)25歳の時に何のあてもなくウェールズ渡航を始めた私は、32時間かけてコペンハーゲンへ。さらにロンドンを経て、目的の地カーディフに到着した。現地で会ったウェールズ協会のウイリアムズ氏は私のために1週間の視察プログラムを作ってくれた。この時点ではまだ2週間程度の滞在予定だった。

ウェールズラグビー協会のレイ・ウイリアムズ氏が作ってくれた「視察プログラム」。私が福岡の草ヶ江ヤングラガーズで子どもたちにラグビーを教えていたことから、主な視察先は小中学校だった。今日はその第2弾で、カーディフから5マイル(7.5キロ)ほど離れたペナース(Penarth)という街にある、セント・サイレス・グラマースクールのラグビーの授業を見学することになった。私が校舎に入ると、子どもたちが不思議そうな顔でこちら見ていた。まずは1年生(12歳)のクラスを見た。

私はこの時に初めてグリッドを使った練習方法を目にした。それまで日本では見ることのない練習方法だった。5メートル四方程度のグリッド(正方形のスペース)に4人1組で入り、そこで3対1や2対2のボールゲームをやる。8つのグリッドを使うと4人×8で、同時に32人の練習ができる。ラグビーといえば「ボールを前に投げてはならない」という固定観念があったが、大切なことは誰がフリーになっているかを知って、その選手にパスをすること。グリッドではその判断力とスキルが身に着く。目から鱗とはこのことだった。

視察プログラムの様子をメモした当時の日記帳より

今日の私のスタイルこれまでとはまるで別人だった。マークス&スペンサーで一昨日買ったスウェーデン製の背広に、シャツ、タイ、ベルトが英国製。ただひとつ日本製の靴下を履いて、上から下までバチっと決めた。しかし、無理してでも買ってよかった。今日は校長先生に学校中を案内されたが、昨日までの格好ではとても正視に耐えられないものだった。この学校では男子はシーズンによってラグビー、サッカー、水泳、クロスカントリーをやり、女子はホッケー、バスケットボール、陸上、バドミントンなど。シーズンごとに違うスポーツに親しむことがごく普通に行われている。

翌日は視察プログラムの第3弾。土曜日ということもあり、モスリンとレディーメアリーの中学1年生同士の試合。気が付いたのは、フォワード・バックスともランニングコースがしっかりしていて、いったん横に流れても必ず立て直す。倒れながらも次々につなぐパス。笛が少なく、継続的なプレーが多いということだった。森の中にあるグラウンドで、タッチキックが森の中に入って出てこないというハプニングがあった。

翌日の日曜は、ロースパークで小中学生のチーム(日本でいるラグビースクール)の見学になった。カーディフ・コサックスというチームで、広大な芝生のグラウンドに5歳から15歳ほどの50人の子どもたちがいる。ここで採用されていたのは「ミニ・ラグビー」。4人フォワード、5人バックスの9人制だ。おもしろかったのは、タイヤを転がしてのタックル練習。動く標的を狙おうということらしい。しかし、練習といってもほとんどゲームばかり。私も中学生の中に入ってしばしゲームを楽しんだ。

むしろびっくりしたのは練習のあとだ。近くのクラブハウスに子どもたちが集合。めいめいがお金を出して、コーラやポップコーンを注文。小さなテーブルを囲んでラグビー談義に花が咲く。私が持っていった草ヶ江ヤングラガーズの子どもたちの写真を見て、ヘッドキャップに不思議がり、草のないグラウンドに驚いていた。 大人たちはとなりのパブでビールを飲み始める。私もコサックスのメンバーに加わることになってしまった。大人も子どもも、ラグビーを楽しみ、アフターラグビーを楽しむという文化。ラグビーがすっかり日常に根を下ろしている。

翌日は、郵便局に行ってエアー・レターを購入して日本に手紙を書くことにした。エアー・レターは封筒に入れずに、そのまま長めの手紙が書けるので便利だ。ウェールズ対オールブラックスのデザインがされていた。そのあと、スポーツ用品店に行ってGOLAというメーカーのスパイクを買った。7.2ポンド(3,600円)だった。

この時点ではまだ住所不定だったため、日本からの郵便物はカーディフ郵便局で受け取るようにしていた。

この日は、再びレディーメアリースクールを訪問して、中学1年生のラグビーの授業を見学した。レズリー先生がいろいろ叫んでも子どもたちはワイワイガヤガヤ。子どもたちはどこへ行っても同じだ。気が付いたのは、ワンハンドやオーバーヘッドパスの指導をしていること。日本ではこの時期での指導は絶対にあり得ないことだが、こちらではとにかくボールがつながりさえすれば、どんなパスでもOK。それがたままたワンハンドだったり、オーバーヘッドだったりするということらしい。

翌日は午後、再びレイ・ウイリアムズ氏に会うためにウェールズラグビー協会に向かう。そこで、あの伝説のウイング、ジェラルド・デービスに会い、握手をしてもらった。ジェラルド・デービスはウェールズ代表の右ウイングで、その鋭角のサイドステップは芸術的ともいえるものだった。(このおよそ40年後に、私はワールドラグビーの理事として、ウェールズ協会代表のジェラルド・デービス氏にダブリンで再会することになるのだが、この時点では日本から来たただの放浪人と世界のトップスターとの出会いだった)

そのあと、レイ・ウイリアムズさんの車でブリジェンドのご自宅を訪問することになった。素晴らしい家と庭にびっくりしていると、お母さん、奥様、お嬢様が迎えてくれた。何か日本の歌を歌ってくれと言われて困ったが、ちょうどギターがあったので、「荒城の月」を歌った。すると奥様が「ウェールズの旋律とどこか似てるわね」と声を上げた。ウェールズの歌には歴史的にも哀愁を帯びた短調の曲が多いらしいが、確かに私たち日本の旋律もマイナー系が多いなと思った。日本の折り紙を披露しようとしたが、あえなく失敗してしまった。

再び車に乗り、波のように続く谷間(ウェールズではvalleyという)を通って、山間の街ポンティプリッズ(Ponypridd)の北にあるロンダ(Rhondda)へ。とんでもない高台にもラグビーグラウンドがあるものだ。ここでは、地域のクラブチームを対象としてレイ・ウイリアムズ氏によるが行われた。40人ばかりの若者たちが集まって指導を受ける。終わればクラブハウスでビールを飲みながらのラグビー談義。

レイ・ウイリアムズ氏が作ってくれた視察プログラムもいよいよ明日で終わる。ここで、手持ちが500ポンド(25万円)。もっともっと長くウェールズに留まりたいが、だんだん所持金が少なくなってくる。果たしてこれからどうしたものか。=次回は4月5日(月)更新の予定です。

(筆者注)前回、カーディフ教育大学の聴講生になるエピソードを紹介しましたが、これは私の記憶違いで、この視察プログラムが終わるころにそのような話が出てきたようです。今回改めて日記を読み返してわかりました。