• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

『ウェールズへの道』の連載を始めるにあたって

 昨年9月に英国ウェールズ政府より、「特使」に任命されました。特使は私を含め世界に3名おり、1名はアメリカ、もう1名はアラブ首長国連邦(UAE)にお住まいの方です。最初はどういう事をするのかわからなかったのですが、簡単に言えば「ウェールズの魅力」をいろいろな機会に伝えていくことにあります。私が特使に選ばれた理由は、20代の頃、ウェールズに2年近く滞在したことや、ラグビーワールドカップ2019を通じて、日本の中で、ウェールズの存在感が上がったことなどでした。

 ウェールズはイギリスの一地域であるのに「ウェールズ政府」という存在があることを不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。イギリスのことを、英語ではUK(United Kingdom=連合王国)といいますが、これは歴史的にイギリスがイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの4つの国が連合してできていることを物語っています。私たち日本人にはなかなかわかりにくい感覚です。

 歴史をひもとくと、元々は独自の言語・歴史・法律のあったウェールズでしたが、1283年にイングランド王エドワード1世がウェールズ全土を征服して以来、ウェールズはイングランドの一地域になってしまいました。しかし、それから700年という歳月が流れ、1980年以降行われたイギリス国内での「地方分権」の動きの中で、1998年に晴れて「ウェールズ政府」が創設されました。さらに2011年には、ウェールズ政府に立法権が与えられました。このように、イングランドによる長い支配の時代から独立を求めてきたウェールズは、およそ700年以上もかけて、自治権を再獲得したことになります。(参考文献『ウェールズを知るための60章』(吉賀憲夫編・明石書店)

 私の特使任命は、こういう経緯の中で生まれたもので、独立性をめざすウェールズ政府がウェールズにゆかりのある個人を任命し、ウェールズの魅力を語っていくことにあります。

ウェールズ滞在中に日本の家族に向けて書いたポストカードより

 特使はフルタイムの仕事ではなく、何かの機会にウェールズの魅力を語るという役割です。そこで、この機会に、1970年代に私が過ごしたウェールズでの生活をまとめてみようと思いました。

 私は1977年から79年前のおよそ2年間、ウェールズに滞在しました。その時のことは、これまでも拙著『ラグビーもっとも受けたいコーチングの授業』や『君たちは何をめざすのか』の中でも触れて来ましたが、どれも小さなエピソードの紹介程度でした。今回は、ウェールズ特使という立場もあり、ウェールズでの生活体験をできるだけ詳しく書いてみようと思いました。

 当時25歳だった自分が何を考えてウェールズへ向かったのか。そこで出会った人たちとの交流。ウェールズとはどういう国だったのか・・・・それらを可能な限り書き出してみようと思います。もう40年以上も前のことなので記憶は遠くなるばかりですが、当時、まだインターネットもなかった時代に、私は自分の近況を日本にいる母親や友人に送っており、その手紙がおよそ80通あります。それらを元に、滞在経験を再構成してみたいと思います。

 私がウェールズに渡航した1977年は、イギリスではエリザベス2世の在位25周年(クイーンズ・ジュビリー)の行事が行われており、その一環として、9月10日にロンドンのトウィッケナムで、ブリティッシュ・ライオンズ(全英代表)対バーバリアンズのラグビー記念試合が行われました。私がロンドン入りした直後で、私は幸いにもその試合を観戦することができました。

 この試合には、現ワールドラグビー会長のビル・ボーモント氏(イングランド)がライオンズのロックとして出場していたばかりか、ウェールズの黄金期を飾ったガレス・エドワーズ、フィル・ベネット、JRRウイリアムズらに加え、フランスのジャン・ピエール・リーヴ、スコットランドのアンディー・アーバンなどの豪華メンバーでした。これまであまり紹介できなかったこのようなエピソードもご紹介させていただきたいと思います。

 あまり無理な計画を立てても続かないので、とりあえず2月8日(月)から毎週月曜にアップしていき、合計30回程度は続けたいと思っています。

1977年にロンドンで行われたBrisith LionsとBarbariansのプログラムブックより