今日は『夢に向かって~』というタイトルでもあるので、私が子どもの頃にいだいた夢について、少しお話しましょう。みなさんは、将来どんな仕事に就きたいですか?
私が最初に憧れた職業は「バスの運転手」でした。幼稚園か、小学校の低学年くらいだと思います。誰でも、小さい頃は自分が身近に目にする職業に憧れるものですね。その頃は、バスの運転手がとてもカッコよく思えたのでしょう。「乗り物の運転手」という夢はバスの運転手や電車の運転手だけでなく、その延長線上には、飛行機のパイロットや宇宙飛行士まで含まれてくると思います。みなさんの中にもそういう夢を持っている人がいることでしょう。
私はその次には「マンガ家」になろうと思いました。これも漠然とした気持ちでしたが、当時は『鉄腕アトム』や『鉄人28号』というマンガの全盛期で、よく授業中にノートに書いたりしていました。これも、延長線上には、アーティストやデザイナーの部類につながりますが、私にはその才能がないことをすぐに知らされました。
小学4年生の頃には「プロ野球の選手」を夢見ました。あの頃は人気スポーツといえばプロ野球。当時は神戸に住んでいて、まわりはみんな阪神タイガースのファンばかり。5年生の時に大分に引っ越したんですが、同級生たちがみんな野球が上手で、その夢は早々に断念しました。自分がプロ野球の選手になるのはムリだということを悟ったんですね。しかし、この「プロ野球の選手」になりたいという気持はその後、同じスポーツの中で「ラグビー」という形に変わり、今に至っています。将来、スポーツ選手になりたいという気持を持っている人はきっとこの中にもいることでしょう。
大分から東京に転居し、世田谷区の烏山中学に入った年に、東京オリンピックがありました。友達の誘いで軟式テニス部に入り、猛練習をしました。あの頃は、練習中に一切水を飲んではならないとか、うさぎ跳びというハードな練習方法が普通に行われていましたね。たまたま中2の時に、近くの大学生にギターを教えてもらったことがきっかけで、一時はギターにはまり「ギタリスト」を目指そうとしたのですが、体育の授業でひどい突き指をして、右手の薬指が曲がってしまい、それも断念。
このように「将来やってみたい職業」はどんどん変わっていくものですが、それでいいと思います。大切なのは、その時々に何かに熱中するということで、そのことが将来必ず役に立ちます。
私は全寮制の都立秋川高校というところに行ったのですが、月に一回の週末は、自宅や親せきの家に外泊することが許されました。その頃、週末の外泊のたびにオールナイトで映画を何本も見ていた同級生はその後、映画監督になりました。好きなことがそのまま職業になる一例ですね。
私の場合は、マンガ家にはなれませんでしたが、その後、中学校で英語の授業をした時に、さっと似顔絵や簡単なイラストを黒板に描く時に役に立ちました。私の描いた「鉄腕アトム」や「鉄人28号」は、中学1年生くらいにはウケましたね。また、その後、海外に行った時には、ギターが弾けたことがどれだけ役に立ったことか。英語が通じなくても、ギターを弾いて歌を歌えば、気持ちが通じ合い、友達ができやすくなるものです。
いろいろなことに興味を持っていると、海外で友達ができやすいです。スポーツでも音楽でも映画でも絵画でもアニメでもダンスでも。お互いなにか共通の話題があると英語力の不足をカバーしてくれます。私はその後、ラグビーワールドカップの招致活動をすることになりますが、パーティーでいろいろな国の人に会った時、なにか相手にヒットする話題があれば、人間関係がぐんと深まっていきます。でないと、”Hi, how are you?” ” I am fine, thank you. And you?”みたいな英語の授業でやっているパターンで終わってしまい、そのあとの話題が続かないものなんです。
でも「僕はテニスをやるんですよ。あなたは?」とか「最近見たあの映画おもしろかったですね」とか話題を振りまいているうちにだんだん話も弾み、相手と自分との共通の話題が見つかるものなんです。そういう意味からも、小さい頃からいろいろな夢を持ったり、いろいろなことをやってみることは、グローバルコミュニケーションにとても大切なことがわかりますね。私の場合はラグビーをやっているというだけで、ウェールズでは友達がたくさんできました。
(つづく)