2019年9月20日夜、私は、幸運にも東京スタジアムに行くことができました。
その日の朝、会場に向かう前に組織委員会に立ち寄ったところ、ずっと見続けてきた表示ボードが「開幕まであと00日」と示されていました。アジアラグビー会長のアガ・フセイン氏をお連れして、東京スタジアムに着いた時、ワールドカップのオーバレイ(装飾)がいたるところにほどこされた会場を見て、これが本当に日本なのかと思いました。ジャパンのレプリカジャージを着たあれほどたくさんのサポーターが集まった光景を見たことがなかったので「ワールドカップを自国で開催するとはこういうことなのか」とあらためて思いました。
荘厳な中にも和のテイストを巧みに入れた開会セレモニー。ラグビーワールドカップ2019日本大会の名誉総裁・秋篠宮皇嗣殿下とワールドラグビー会長ビル・ボーモント氏による開会宣言が終わったあと、場内4万5千人を超える大観衆によるカウントダウンでラグビーワールドカップが始まりました。
2003年の招致時代から数えると16年、私はもっと感無量になると思っていたのですが、すごく緊張していました。日本が勝てるのか、この大会はうまくいくのか・・・そういう緊張感で胸が押しつぶされそうでした。
会場には、アジアから招待された青少年たちも300人いました。日本開催の招致スローガンは『アジアのための招致』(Tender for Asia)。外務省にも協力をお願いし、アジアの子どもたちを招聘するJENESYSという交流プログラムの実施時期を開幕戦のタイミングを合わせていただきました。それとは別に組織委員会の嶋津昭事務総長の発案で、独自にアジア28か国から子どもたちを開幕戦に招待することができ、300名を超える招待となりました。
開幕セレモニーで「ワールドインユニオン」を歌った350人の子どもたちの大半は、ブリティッシュスクールイン東京の子どもたちでした。60を超える国籍の子どもたちが1,000人在籍しており、参加20か国を代表するために選ばれたのでした。大会の1年ほど前に同校を訪れた時、合唱部の練習を見学したことがあるのですが、そのときにすでにこの「ワールドインユニオン」を練習していました。サイモン先生は「もしかしたら開幕戦やイベントで歌えたらと思って練習を始めました」と言っていました。彼らにとっても夢がかなった瞬間になりました。
緊張感のある日本代表は、開始早々、ロシアに先制トライをされ、立ち上がりは苦戦しましたが、松島幸太朗選手のハットトリック・トライも生まれて、結果的には30対10で快勝。開催国として、開幕戦で勝利するという最初の大きな一歩をなしとげました。
私はこの試合の詳細をあまり覚えていません。”職業病”かもしれませんが、試合のなりゆきより、観客が満足しているか、運営はうまくいっているか、海外からのVIPにきちんと対応できているかなど「試合以外」のことが気になって、なかなか試合の中に入れないのですが、仕事なのだからやむをえません。
「ワールドカップが始まったんだ」という余韻の中、私はVIPのみなさんをお送りしたあと、ずっとスタジアム周辺に残って、観客のみなさんが帰路につくのを見届けていました。興奮という漢字二字では表現しつくせない感覚がありました。スタジアムの外で、日本中のファンゾーンやご家庭でどんな反応があったのか、私にはまったくわかりませんでした。この日はジャパンのメンバーをはじめ、全国のサポーター、組織委員会の各担当者、開催都市、関係者のみんながそれぞれの思いを持って夜をすごしたことと思います。私は大会が始まったんだという実感を持ちながらも、これから始まる47試合のことを思い、緊張感をかかえて帰宅しました。