「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」。これらは、ラグビーの持つ大切な5つのコアバリューとしてワールドラグビーの憲章にも取り入れられています。しかし、私は今回のラグビーワールドカップ日本開催を通して、新たに「受容」(受け容れる)という言葉を加えではどうかと思うようになりました。ここでいう「受容」とは、「すでに起きてしまったこと、自分たちの力ではどうしても変えられないことを、運命として黙って受け容れて前に進む」ということです。ラグビーを愛する人たちには、共通してこの気持ちが強いと私は感じています。
そして、この考え方はラグビーを越えて、私たちの人生にとっても大きな意味を持つと考えました。
以前ご紹介しました岐阜の小6の男の子の例です。豊田スタジアムで行われる予定だったオールブラックス対イタリア戦が台風で中止になったのを知って、大きな声をあげて泣きじゃくった。それでもしばらくすると、目を真っ赤にして「お母さん、僕もう切り替えたで。大丈夫やで」と母親に伝え、母親は息子のその姿に「あんたは、立派なラガーマンやな」と感心しました。
そして、こちらもご紹介しました沖縄の中1の少女。熊本での試合の入場で国旗を持つ役割に選ばれてきたものの、連絡の手違いで、当日すでに別な子がその役に選ばれていたという現実に直面したとき、彼女はこういいました。「お母さん。みんなこれから始まる試合のことで忙しいのに私に気をつかってくれて、私を喜ばせてくれて。もう充分だよ。こんな裏まで見れて幸せ。ありがとう。もう帰ろう」。
台風で2試合目が中止になった釜石では、試合のキックオフの時間に合わせ、市民やサポーターたちが大漁旗を持って鵜住居復興スタジアムに集まりました。桜庭吉彦さんはこう言いました。「釜石開催はこれでノーサイドですが、私たちはやれることはすべてやりました。気持ちを切り替えて、この試合開催に携わった全ての皆さんと讃え合いたい想いです」。
やはり台風で中止になった横浜でのイングランド対フランス戦。この試合のために、わざわざイングランドが来日した老夫婦が、雨の横浜国際競技場の前で記念写真を撮っていました。「とっても残念だけど、私たちの力ではどうにもならないですよね」。
ラグビーをプレーした人、ラグビーを愛する人には、なぜ事実をそのまま受け入れようというメンタリティがあるのでしょうか。
ラグビーは体をぶつけあう、痛いスポーツでもあります。そして、試合をしていると、いろいろなことが次から次へと起きます。ラックの中で相手に顔を踏まれたり、必死の思いでボールを出したら味方がノックオンしたり、レフリーが相手のオフサイドを見逃してしまったためタックルされたり・・・。しかし、こういうことにいちいち動揺していたら、試合になりません。起きたことは起きたこととして黙って受け容れて、次のプレーに向かっていかなければならない。仮にレフリーのミスジャッジでトライされたとしても、そこにこだわるよりも、次の自分たちのプレーで返す。
双方30名もの選手たちを1人のレフリーが笛でさばくこと自体、「人間のやることにはそもそも見逃しや間違いがあるかもしれないが、それは気にしない」という、どこか達観した考え方が根幹にあります。
私たちの人生には、受け入れなければならないことや、悲しみやつらい体験が、少なからずあります。それは、決して起きたことに対しての「あきらめ」ではなく、起きたことをそのまま受け容れて、その不条理を越えていくという強さや勇気なのかもしれません。
このラグビーというスポーツは、それを乗り越えていく力を与えてくれる。これが、試合後、負けても、負けは負けで認め、相手をリスペクトするというノーサイドの精神の原点かもしれません。「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」・・・できれば、これにぜひ「受容」という新たなラグビーの価値観を付け加えてほしいと思いました。
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