• 徳増浩司のブログ (Blog by Koji Tokumasu)

RWC2019のボランティア体験

 埼玉県の40代の女性ボランティアの体験をご紹介させていただきます。

 私は、熊谷でボランティアをしました。数えきれない素敵な思い出のひとつは、なんと言っても、名物のハイタッチです。500mくらい、もしかしてそれ以上の長い列を作ってハイタッチでお別れをしました。 「お疲れ様でした」「ありがとう」と繰り返して言ってくださる人もたくさんいて、私は涙を抑えるのが大変でした。 熊谷市内の小学生が来てくれた時は、学校ごとに先生方が引率して、「ありがとうございました」と口々に言いながらハイタッチを楽しんでくれました。「全員とハイタッチする!」と、張り切る小学生も多かったです。

 外国からのお客様達も日本語で「ありがとう」を言ってくださる方が多く、私たちボランティア側もその国の言葉で「ありがとう」を何と言うのか練習したりしていた人たちもいて、その心のやり取りに何度も胸が熱くなりました。それぞれの人らしい言葉、音量、雰囲気で、それぞれが一人一人の顔を見て声を自然にかけていたように思います。この光景は、今でも思い出すと涙がこみ上げてきます。

 ボランティアの慰労のために年末に行われた「サンキューパーティー」では、面接から始まって、暑い中研修を繰り返した日々のことや、この、ハイタッチのシーンなども合わせた動画が流れて、涙をぬぐう姿も見られました。私もその一人です。 おそらく、ボランティアをする人たちは、表に出ることを自らはしない方が多いと思います。人の喜びを自分の喜びとする人が多かったです。そんな方々から多くのことを学びました。今でも、同じ班で行動を共にした方々とは繋がっています。

 ボランティアをして良かったことは、①大会を少しでもお手伝いできたということ、②お客様達との出会い、そして、③ボランティア仲間との出会い、④大会そのものを陰ながら体感できたこと、と言えると思います。そこにまつわる様々な思い出がいっぱいです。

 外国からのお客様との思い出の一つ。 私は、急きょ募集された、「決勝戦と閉会式のボランティア」もしました。 横浜総合競技場は、私自身も初めての会場なので、念入りに下調べをして、リハーサルも早めに行ったりしました。 難点は、横浜駅から新横浜駅までの乗り換えでした。同じホームから、行き先の違う京浜東北線も出るからです。「ここは間違えないようにしなくては」と自分に言い聞かせました。 そして、当日、そのホームへの階段を上がる時、何となく英語が飛び交って、ざわめいてるのが聞こえたので、私はとっさに駆け上がり、様子を見ました。すると、ラグビージャージ(ウェールズやイングランド、NZ、南アなどさまざまでした)を着た人たちが、10人ほど、不安そうな声を掛け合いながら京浜東北線に乗ろうとしているところでした。

 ボランティアはいつも自宅からボランティアのユニフォームを着て行くことになっていたので、明らかにW杯ボランティアと分かる私はその集団に駆け寄って、W杯会場へ行くのかを聞き、これは違う電車であることを大声で伝えました。すると、10人以上の方々がゾロゾロと電車を降り、「大会ボランティアだ!この人についていこう」と口々に伝え合って、「ありがとう」と、私を取り囲みました。みなさん、私より背の高い方々で、埋もれるようにして、「この次の電車です。私は大会ボランティアです。同じ場所へ向かいますので、ご一緒しましょう」と伝えました。 はじめは、皆さんがお仲間同士かと思いましたが、実はたまたま居合わせて、目的地が同じ方々でした。 世界のあちこちから、この場所に集まり、突然の出来事にまとまって協力している姿を見て、胸が熱くなると同時に責任も感じました。 色々と話をしながら無事に新横浜駅に着き、スタジアムへ行く目印が見えてくると皆さん笑顔になり、そのあたりから皆さんがバラバラに歩き始めて、そこで初めて、その方たちが初めから一緒に来ていたわけではなかったことに気付きました。駅担当のボランティアさん達もいて、案内が滞りなく行われていて、私もホッとしました。 忘れえぬ思い出の一つです。

(写真提供)元RWC2019組織委員会・人材戦略局人事企画部ボランティアマネージャー 神野幹也氏